03
--
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
--
>>
<<
--
LATEST ENTRY
CATEGORY
ARCHIVE
LINKS
PROFILE
SEARCH
RECOMMEND
SPONSORED LINKS
RECENT COMMENT
MOBILE
qrcode
OTHERS
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

スポンサードリンク | - | | - | - |
榎本武揚
所用で函館へ行って参りました。
実は北海道は人生で初めてでありまして、食事も美味いと聞きますし、夏は過ごしやすいそうですし、旅費は経費で出るしとテンション上がる他無い旅程でございました。
ということで簡単ながら飯テロ兼函館旅行の写真をつらつら紹介させていただきます。
どうでもいい事ですが、本来二人で行く予定だったのが空港のチェックインカウンターにて電話をかけたところ「今起きた」と言われたために往路は一人旅でした。
「やると思った」と言い捨てて飛行機に乗り込むこのサバサバ感。


まずこちら、空港から乗った快速電車。
乗り込み口のスペースと座席スペースとの間に間仕切りの扉がありまして、恐らく寒さを防ぐための構造だと思われます。
結構驚きました。
扉も下手したら手動だったりするだろうかと失礼な事を考えていましたが、普通に自動でございましたことよ。


で、特急待ってる駅で勝った七福弁当。
やはり列車旅は駅弁を楽しむべきであろうという考えから北海道らしいやつをチョイス。
味はそこそこ。


こんなに直線で線路が延びているのも初めて見ました。


函館に着きまして、街には路面電車が走っております。
関東では東京の大塚と神奈川の江ノ島と、それくらいしか知りませんので結構新鮮に映ります。
平たく言うと嬉々として写真撮ってました。
だって!路面電車用の信号なんて!教習所の教科書でしか見たことないですよ!
真ん中は×印だったので、左のは←なんでしょうか。


市電(路面電車)に揺られて十分ほど、レイモンハウスに到着です。
中で撮った写真が取り込めなかったため、リンクからメニューをご確認いただければ。
日本にハム・ソーセージの製法を伝来したカール・レイモンの資料展示と、ハム・ソーセージが楽しめます。
お土産として買っても良いですし、中のスペースで座って食べる事も出来ます。
ンマイです。
この時はちょっと腹具合が悪かったため、食べきれない分を手に持って街へ出たのですが、カラスに二度襲われました。


そんで五稜郭タワーから見下ろした五稜郭。
堀の外でも外周2kmほどと書いてあったので、想像していたよりも小振りでした。
上から見下ろすと土の盛り方も低そうですし、本当にここに旧幕府軍が籠もって抵抗出来ていたのか疑問に思えてきます。
展示されていた年表によりますと、要塞として建築されつつ、奉行所を置いて政治の中枢でもあったようです。
だから抵抗軍が占領したんですね、多分。


中には立派な藤棚がありました。
今まで見た中で一番立派です。


近くで撮ってみるとこんな感じ。
良いデジカメが欲しいと思った瞬間でした…フォーカスが…。


ツツジも綺麗です。


で、奉行所遠景。
数年前に建て直したということで、外観は凄く小綺麗。
間に合いませんでしたが、日中は内部も観覧出来るそうな。


はい飯テロ−。
北海道は塩ラーメンが有名だとか寝坊野郎が言っていたので、普段はこってり豚骨味噌とか食べてる私も塩に手を出しました。
美味しいのは置いておいて、注文から三分くらいで出てきたのが一番印象に残っています。
「麺固めになりますけどよろしいですか?」と最初から断り入れてくるだけはあります。


函館といえばラッキーピエロ。
ご当地バーガー金賞に輝いたこともあるとか何とか。
調べてみたら、数年前までは千葉県内にもあったそうです。
何故いきなり千葉に店を出したのだ…。
値段は大体350円でこの大きさなので、コスパは良いです。
でも若くないとカロリーや胃もたれがしんどいかもしれません。


朝市に突撃して食べてきました海鮮丼。
今この記事編集しながら腹が鳴ってます、夕飯食べたのに。
ご覧の通りウニ・イクラ・ホタテの三種盛りなのですが、特筆すべきはホタテです。
驚くべき事に、歯を使わずとも舌だけでほぐれる柔らかさ。
風味も甘く、それでいてホカホカご飯ともしっかり合う絶妙な味でした。
いかん腹が減る、これが飯テロ…人を呪わば穴二つ!
ウニも美味しかったんですが、私の好みからやや外れていたのとホタテが規格違いすぎたため扱いは軽いです。
本州で低いレベルのウニをもっと食べていればその違いに驚けたのかもしれませんが。


締めの画像はスープカレー。
飲み会で一緒になった人が「本州に展開したスープカレーの店は不味いんだよ!だから本州の人はスープカレーを『ちょっと薄くて不味いカレー』としか認識してない!君たちは本場のスープカレーを食って帰れ!」と熱弁してくれたので、帰りの空港でお店探して食べてきた次第。
感想としては、素晴らしく美味です。
具材はエビ、骨付きチキン、ピーマン・ブロッコリー・ナス・ニンジン・カボチャの素揚げが入っていたと記憶していますが、素揚げのクオリティがカレーのスープに負けていません。
ニンジンの甘みも、カボチャのホコホコ食感も、ブロッコリーの新鮮さも、ナスの汁も、ピーマンの爽やかな苦みも、全て引き出されてかつ喧嘩することなくスープと一体化しております。
骨付きチキンはほぐすのがしんどいので苦手なのですが、スプーンだけで容易く骨から綺麗に外せる柔らかさ。
作り方教えて欲しいくらいです。
私はご飯をすくってスープに浸す食べ方をしましたが、特に作法は無いとか。
北海道行ったらこれは食っとけと言わざるを得ません。

以上、文章少なめの旅行記でした。
次はまた数ヶ月後だと思います。
では
ワタケ(昔は浅黄とかいう痛いHN) | 回想 | 22:44 | comments(0) | trackbacks(0) |
九年も前の事について今更とやかく述べるのこと
お元気ですか、私は元気です。
最後に更新したのが多分入院した頃のはずなので、およそ三ヶ月ぶりにログインした次第です。
毎日数名程度チェックにいらっしゃる方がおられるようでありがたい限り。(人じゃないかもしれませんが)
「大学生のうちに思考のアウトプットとして十万文字は書け」と意識高い人が言っていたので、意識低い私ですが多少試みるくらいならバチも当たるまい、ということでこのブログをそっち方向へ路線転換させることも考えています。
数年前の記事と比べたら「あの小僧が小生意気になりおって!」みたいな感覚を味わえるかもしれません。というか私が味わってます。

さて本題。
今更知ったのですが、2005年に群馬大学医学部を受験した当時55歳の女性が、筆記試験の点数が足りていたにも関わらず不合格とされ、訴訟の末大学側が勝訴した事例があったそうです。
ザックリとした事例紹介・顛末は以下のURLよりどうぞ。
http://www.unipro-note.net/archives/50259778.html
記事中の二次情報へのリンクは尽く期限切れとなっているため、もう一つこの事件について述べている文章を紹介します。
http://www.geocities.co.jp/halfboileddoc/personal/med/01-12juken.html
判決が出る前に書かれた文章であるため、こちらの方が経緯を事細かに書いてあります。

両方の記事から、訴訟に至るまでの事の流れを箇条書きにしてみましょう。
・55歳女性が群馬大学医学部を受験し、不合格とされる。
・個人情報開示請求した結果、筆記試験の結果は合格者平均点を上回っていた。
・不合格の理由として年齢があることを入試担当者から説明される。
・不合格は不服として訴訟。
ここまでが訴訟するまでの流れです。

二つ目の記事にありますが、大学側は年齢による出願条件の制限を設けていなかったそうです。
最新の平成26年度版(http://www.gunma-u.ac.jp/html_nyushi/images/examination/examination05/050_2501003_2600ippan.pdf)を斜め読みし、検索もかけてみましたが、やはり年齢上限に関する記載はありません。(下限については18歳とありますが)
これについて二番目の記事で、「それに手続き上の瑕疵は免れ得ないと思う。国立大学の試験としては募集要項がすべてであるから、大学の事情によって募集要項外の要件を持ち込むべきではない。いくら内実「職業訓練学校」であったとしても表向きは公立大学面をしているのですから、公立大学としてのルールには従わなくてはいけない。これは「試験」というもののプロセスに関する誤り。」と批判がなされています。
私が考えるに、厳密には「募集要項で制限していない」からといって「合格条件で制限していない」わけではない事になるのですが、これについては「どうせ落とすなら事前に絞っとけ」という意味で大学側が募集要項に記載しておくべきだったと思います。論理的な矛盾は無いけど不親切だよね、という話。

募集要項に年齢制限が無いことは衆目の一致するところですが、ではこの場合の「合格条件」とは何かということになります。
募集要項によれば、「大学入試センター試験、個別学力検査等、調査書を総合して判定します。」「上記出願区分のいずれで出願しても合格者の判定は同一の基準により実施します。」「個別学力検査等(学力検査、面接、小論文)のいずれかに不良のものがあった場合は、不合格とします。」と判定方法・不合格条件について記載されています。
これは最新の物で当時の物と細部が違う可能性がありますが、この女性は「筆記試験の合格平均点を上回っていた」ということなので、学力検査・小論文は合格相当であったと考えることが出来ます。筆記試験の点数はセンター・個別を合算すると要項にありますから、この女性が不合格になりうる要因は「個別学力検査の面接」or「調査書」ということになります。
大学受験を経験した方には分かると思いますが、調査書で不合格になるケースはまずありません。調査書が志望校に対して不足するような人は、そもそもそんな所を志望しないためです。また、55歳になって医学部受験を志す人物の調査書が(いくら40年近く前だとしても)悪いとは考えにくい。よって争点は面接にのみ絞って構わないということになります。長ったらしいですが前提の整理です。

では面接の処理について考えてみます。
医学部受験における面接の意義とは、「学力試験で測れない不適格な人物を除外するため」というのが広く共有されている認識です。記事とは別の所で、「極端な話、筆記試験でトップだけれども殺人の前科があるような人物が居たらそれを弾かねばならない」という例えがあったのですが、基本の考えはこれで間違いないと思います。ただ、これは断りの通り極論であるので、どこまでを「不適格」とするかは極めてファジーな議論とならざるを得ません。二番目の記事で全盲男性に関する例がありますが、今回は年齢のみに絞って不適格とはどういうことかを考えることにします。

シンプルな話に落とし込めば、「医師業務に差し支える=不適格」ということになります。どういった面で医師業務に差し支えると判断すべきか。一つ目の記事中に、新聞からの引用として同大が「医師には知力・体力・気力が必要」などと説明していたことについては、合理性があるとした。という判決の根拠が挙げられていますが、実際に内部を知る物として、この三つは必要十分であると考えます。知力が無ければ診療業務に必要な能力の根幹が崩壊していますし、気力に関しては患者の死亡や訴訟リスクといったストレスに心を折られた医師が辞職ないしは自殺するニュースが年に少なくない数見られます。体力に関しては、内科や精神科と外科や救急で全く状況が異なります。つまり、一概に「このくらいの体力が無いからダメ!」と線引きするのは難しいのです。ただ、どの診療科でも当直で夜間にたたき起こされる事はあり得るため、それに耐えられる体力は必要だろうと推察されます。
55歳という年齢を考え、卒業時に61歳で研修医として働き始めるだろう仮定の未来を想定すると、気力はともかくとして知力・体力に十分な素質があるかと問うてみると、世間一般的には疑問符が浮かぶのではないでしょうか。私はまだその年齢に達していないので実際にその世代の人に訊いてみないとハッキリ結論は出来ませんが、個人的にも体力・知力は厳しいのではないかと思います。「受験に合格したのだから知力は十分ではないか」という意見もあるかと思いますが、受験で必要とした各種科目の総合知識量を1とした場合、国家試験合格に要する知識量は体感的に3~5、人によってはそれ以上です。これは私が使った参考書、使っている参考書の厚みもある程度考慮に入れての値なので、全く感覚的な数値ではありません。従って、学部受験に合格した事実は国試合格をなんら担保するものではないということです。これは別に年齢関係なくそうですけども。またこれも世間一般論になってしまって申し訳ないのですが、新しい事を記憶していく能力も年齢によって低下していきますし、認知症の発生リスクも年齢によって上昇することはデータが出ています。
次に体力ですが、良く知る体力テストの年齢別結果についてこんなグラフが見つかりました。
http://www.mext.go.jp/component/b_menu/other/__icsFiles/afieldfile/2011/10/11/1311811_2.pdf
URLを途中でカットしてみたところ文部科学省のデータであることが分かりましたので、信用に足るグラフだと言えます。
このグラフからは20歳から64歳にかけて、右肩下がりに体力低下していく様子が明らかに分かります。他の年齢層でグラフが断絶しているのは、採点基準が変わっているためと考えられます。

以上のことから、55歳という年齢での医学部入学は、勤務開始時(早くても)61歳ということを考えると、少なくとも体力の面で(同期最多である)20代より遙かに劣り、知力に関しても学習機能の生理的な衰えが危惧される事が分かります。付け加えるなら、一つ目の記事にあるように、不合格を決定したのは教授会議であり、その顔ぶれはおおよそ50~60代の人物です。私がここでどれだけ推測を並べても、当の世代が下す判断に及ぶものではありません。年齢による衰えに限っては、ですが。

年齢における身体的な理由ばかりここまで述べてきましたが、もう少し広い視野で、いわば政治的な観点からも55歳の医学部合格は厳しい面が見えてきます。
群馬大学は国立大学であり、その医学部生の教育には多額の補助金が国庫から、つまりは税金から支出されています。一人の医学部生を卒業させるのにかかる費用は5000万円とも1億円とも言われていますが、ある小児科医の先生が試算したところでは3000~4500万円だろうということです。(http://d.hatena.ne.jp/Yosyan/20110607)
教育は投資ですから、この費用以上の経済効果を社会にもたらす事を期待されるのが筋です。この場合どうやって「社会への経済効果」を算出するかという問題が浮上しますが、私は経済の素人以下なので、大まかに「患者が疾病により失う予定の経済利益-医師の診療報酬」と定義します。「失う予定の経済利益」とはつまり「医師の働きにより社会に還元できる利益」ですから、要は普通に利益から損失を引いているだけです。本当は保険なんかも絡まるのでもっとずっと複雑なのでしょうが、それを論じる能力が私に無いので飽くまで参考程度に。
厚生労働省によれば、平成22年の段階で女性の平均寿命は86歳。かといって生涯現役である人は稀でしょうから、医師の平均寿命はどのくらいかと調べてみると、1979年の古いデータでは68歳(http://ncode.syosetu.com/n8651bb/17/)。これは昭和54年ですから、先ほどの厚生労働省で一番近い昭和55年の平均寿命を見てみると、女性は79歳。乱暴ですが、平均寿命の延びがそのまま医師にも反映されたとして、75歳あたりが妥当ということになるでしょうか。どんどん感覚的な推測ばかり続いて申し訳ありませんが、61歳で医師になり、75歳で死ぬまでに、投資された4000万円ほどを社会に返しきれるかどうか。正直出来なくはないでしょうが、トントンかそれ以下だと思います。この4000万円は社会への貢献から自らの給与を引いた数値ですので、返済には短くない時間がかかるでしょう。
そして、紆余曲折の果てに帰ってきましたが、「55歳を切ってその椅子に若い受験生を置けば、遙かに多くの経済的利益を上げることが出来る」事は紛れもない事実です。
このような経済・社会的側面からも、地域医療へ責任を負う大学医学部が55歳を不合格としたがる理由は見えてきます。

一つ目の記事において、「入試担当者から「医師を社会に貢献させる使命が国立大学にあり、十年かけて育成しても社会に貢献できるか、あなたの年齢が問題となる」と自分の不合格理由に高年齢が挙げられたと主張したが、判決は「証拠がない」としてこの発言を認定しなかった。」と書かれており、執筆者は年齢差別だと批判しておられますが、当記事におけるここまでの論証では年齢による不合格措置は素質的にも社会経済的にも妥当という結論に至ります。
ただしこれは大学側の対応を全面支持するものではありません。年齢による不合格措置は極めて現実的な対応であり、実質的に募集制限がかかっているような物ですから予めその旨記載すべきですし、入試担当者の応答も「合否は全教授で審議し、学長が決めるもので通常、恣意(しい)的な判断をする余地はない。」という因果関係の無い謎の説明になっていますし、「面接ではどのようなチェック項目があり、どう点数化されているのか開示を求めたが、大学側は「今後の入試に影響を及ぼす」として応じなかった。」のようにブラックボックスと化した面接での評価基準は明かされていません。

私の最終的な結論を述べますと、「措置そのものは妥当だが、事前準備や対応に不備・不誠実がある」になります。この女性もさぞやり切れない思いをしたはずなので、これ以上このような事例が出ないよう綿密な対応を願うばかりです。
なお、一つ目の記事序盤〜中盤に「高齢者の学ぶ意欲を引き出せるかどうかに繋がる判決だったが壁が高かった」とありますが、専門書自体は誰でも買えるので、学部に通うよりも安価に学習自体は出来ますよ、ということを申し添えさせていただきます。実技的な部分は流石に無理とは言わないまでも困難と思われますが。
長文読んで頂きありがとうございました。
では
ワタケ(昔は浅黄とかいう痛いHN) | 随筆 | 23:57 | comments(0) | trackbacks(0) |
心停止してきた話
先週末、人生で初めて入院というものを体験してきました。
循環器内科です。
循環器内科という診療科は、心臓に関わる病気で、胸を開かなくて済むようなやつなら大抵の病気を扱うような科だと思ってまず間違いありません。
高血圧だとか心筋梗塞だとか不整脈だとか、かなり幅広くやっております。
ペースメーカーの植え込みなんかは筋肉のすぐ下に入れるだけなので外科に回さず片付けますし、心筋梗塞などの冠動脈疾患もカテーテルという細いラインであれこれして治してしまいます。
素直に凄い。
で、私の場合は不整脈でお世話になってきました。
中学校に入学してすぐ取った心電図でWPW症候群という疾患を指摘されておりまして、日常生活に影響は無いし「様子見で良い」と医者にも言われたので放置すること十年ちょっと。思い返せば小学校高学年の時には頻拍発作が起きていたので、具体的に何年くらい抱えていたのかは分からないのですが、まあ時折動悸がする以外は基本的に無害でした。

で、先日循環器内科の先生とお話する機会があった際に言ってみたわけです。「実は…」みたいな。
「○○病院の院長先生が様子見で良いとおっしゃっていたのでほっといているのですけど。」
「あー、あの先生ね。微妙だよ。」
結構カルチャーショックですよこれ。「あの人が言っていたんだから大丈夫だろう」を同じ畑の人に一刀両断されるってのは、大げさに言えば足下が崩れるような感覚です。
相談した先生曰く「過去に一度でも発作が起きているなら根治させてしまった方が良い。」とのこと。
その場で12誘導の心電図を取って、トントン拍子で入院の日取りを決めて貰いました。
というか若干無理を言ってねじ込んで貰ったというか…。

簡単にWPW症候群という物について説明を差し挟むと、通常心臓が動くのに必要な電気信号というのは、中心部を上から下に通った後で左右に分かれる、というルートを一方通行で繰り返しています。信号のスタートは洞房結節という部分で、細かく言うなら上大静脈と右心房の境目くらいです。ザックリ言うなら右上。これは脳と独立して信号を出し続けているので脳が死んでも心臓が動き続けたりするのですが、まあそれは別の話なので置いておきましょう。
で、WPWというのは、正規の中心ルート以外に信号が伝わるルートが出来てしまっている状態(の一種)です。更にいくつかのタイプに分かれるのですが、私の場合は心臓の左側へ別ルートの存在するA型という種類。プロは心電図見るだけでどのタイプか判別出来るらしいです。すげえ。
この別ルート、普段はあまり邪魔せず信号を伝えているのですが、何かの拍子で調子外れの一拍が心臓に発生すると、中心の正規ルートから広がった信号が別ルートを逆走します。逆送した信号は下から上へ戻り、そのまま再度下へ走ります。こうして信号がループすることで頻拍発作が起きるのです。リエントリー性頻拍だなんて大層な名前が付いております。
これは体験談ですが、この発作が起こると、安静にしていても脈拍が200を超えたりするのであまり良い気持ちではありません。専門的な話をすれば、心臓が「広がりきらずに縮む」ために血流に異常をきたしますし、実際よろしくないわけです。また、心房細動や心室細動といった、名前だけでもやばそうな疾患に繋がるリスクもあるため、「一度でも発作があったら根治した方が良い」ということになるそうです。
簡単に説明と言いつつつい長くなってしまいましたが、まあそういう病気ですよと。

さて、根治させるにはさきほどチラッと出てきたカテーテルという細いラインで、この別ルートを焼き切る方法がとられます。
太股の付け根から管を合計四本入れまして、心臓の中で心電図を取って(すげー話だ)詳細な場所を特定し、高周波で焼く、と。
手術といえば手術な感じですが、麻酔は太股に局所麻酔するだけですし、鎮静剤を入れられて眠気全開だったのでそれほど痛くはありません。そもそも心臓は筋肉100%のナントカ・バンデュクーみたいなシロモノなので、痛みを感じる事は無いとか。ただ、長時間焼くためのカテーテルを当てられている間、「胸が苦しい」という訴えを体感できました。胸が痛いとか張り裂けそうとか様々な表現が心臓にはありますが、苦しいというのが最もしっくり来ます。
で、別ルートを焼き切った後は確認の作業が入ります。
わざと頻脈を起こさせる薬を入れて他の不整脈が起こらないか確認し(これはこれで凄い体験だった)、最後に房室ブロックを起こすための薬剤を入れます。
房室ブロックというのは、心臓の正規ルートが遮断されている状態のことで、別ルートが上手く焼き切れているならば房室ブロックによって心臓は停止します。残っていれば別ルート経由で信号が伝わるので拍動が続くはずである、とそういう論理。乱暴っちゃ乱暴です。
「じゃあ薬入れますよー」という声が聞こえて、眠気全開と言っても高揚感の無い泥酔みたいな感じですから、周りの声は聞こえるし会話は出来るし、自分の心電図が「ピッ…ピッ…」と鳴っているのも聞こえるわけです。先生の言葉から五秒くらいで電子音がゆっくりになっていって、内心で「あ、止まった」。

止まったな、と思った次の瞬間には手の指先が芯から冷たく、重くなる感じを覚えました。氷水に30分以上浸しておいてもここまで冷たくはならんだろ、というくらい芯から冷えます。痺れている気もするのですが、痛みというより「動かない、感じない」という意味での痺れです。
こいつが指先に生じてから肘まで上ってくるのに多分一秒未満、そのくらいのタイミングで同じ感覚が足の指先に出てきて、やっぱり凄い速さで体を駆け上ってきます。
体感的には心臓止まってから三秒経つか経たないかくらいで、胸の中心部と首から上以外は異様な冷たさと重さに支配され、動かないと思う間もなく視界が端から真っ暗に染まり始めました。これも、始まってから視界全てが真っ黒に塗りつぶされるまで一秒かからないくらいだったと思います。
ブラウン管テレビの電源を切った時のようにプツリと最後の中心視野が消える間際、カテーテルからの電気刺激で心拍が再開し、何分も息を止めた後のように心拍も呼吸も大急ぎで体中へ酸素と栄養を送り始めます。や、呼吸は鼻から酸素チューブ入ってたんであんまり頑張ってないんですけど。

当たり前なんですが、「人は心臓が止まったら死ぬ」という事実をサクッと突きつけられました。
心臓停止してから五分以内に心拍を再開させないと脳の組織が回復不能なダメージを受けるため、心肺蘇生のデッドラインが心停止後五分だと言われているのですが、それを聞いて「じゃあ二分くらい経ってもまだ生きてるもんなんだな」なんて思っておりました。
私が間違っていました。完膚無きまで勘違いでした。
ほんの数秒心臓が止まっただけで動けず冷たく、有無を言う暇も無く視界と意識を刈り取られるほど、全身の細胞は酸素と栄養をギリギリの状態で自転車操業しているわけです。実際は心拍が遅くなってから止まったわけなので、いきなり止まってももう少し猶予があるのかもしれませんが、それにしたって何倍にもなるということは無いでしょう。
心肺停止で運ばれてくると大抵助からないという話を聞きますが、さもありなん。いかに倒れた直後の心肺蘇生が大事か身を以て知りました。
纏めて言いたいことは、「臨死体験しても光や川や花畑は無くて、氷点下の墨汁に沈んでいくような無機質な暗さと冷たさがあるだけだよ」という事に尽きます。臨死体験というほど生死の境ではないにせよ、結構参考になるエピソードなんじゃないかなあ。
鎮静かかってたせいかもしれませんがあまり苦しくなかったので、死ぬなら窒息とか出血じゃなく心停止で死にたいと思います。

そういうわけで、入院体験でした。本当は術後のベッド生活とか導尿のアレコレとかあるんですが、長くなりすぎるので割愛いたします。ちょっと大きな病気で入院したら割と体験できますしね、導尿。私がしなくても周りの人に聞いてみてください。
最後の締めとして、カテーテル刺入のために剃った陰毛が年明けには生えそろうことを願って終わりにします。チクチクするんだよ!
では
 
JUGEMテーマ:ちょっと病気の話
ワタケ(昔は浅黄とかいう痛いHN) | 回想 | 20:30 | comments(0) | trackbacks(0) |
∩( ・ω・)∩ チハタンばんじゃーい
自衛隊の総合火力演習に行ってきました。
場所は御殿場、開始は10:00。(以下時刻は軍隊式に読んでください)
始発で出た私とおっちゃんが御殿場駅に着いたのが08:45。
片道2500円もしやがるので切符でなくSuicaで入ったのですが、御殿場はJR東海のシマなのでSuicaが通用しないというアクシデントに見舞われ、無駄なタイムロス。


向こうのICカードはtoICaと呼んでるそうです。
改札を出ると、人、人、人。
コンコースも階段もフルに活用して長蛇の列を折りたたみ、改札出てからバスに乗るまで二時間待つことになりました。
これ、誇張表現無いです。
今回申し込んだのは青少年駐車場券付きのはがきで、一説によると倍率は86倍だとかなんとか。
何となく申し込んですんなり当たってしまったので有り難みも無く電車で行ってしまいましたが、次があれば是非来るまで行こうと堅く決意しました。
房総から行くには遠すぎます。
で、バスのために歩き続けてほとんど二時間経過しようという時に撮ったのがこちら。


九五式軽戦車ハ号、と書いてあります。
てっきり柔らかいことで有名なチハかと思ったのですが、それは九七式の方でした。
Wikipediaによれば、1930年代に開発された旧軍の主力戦車だそうです。
一人入ったら満員になりそうなサイズです。
奥行きを見るともう少し大きく感じるのですけど。
で、バスに揺られて会場到着が11:15頃。そこで人並みに揉まれ、会場の入り口を探して入場出来たのがおおよそ11:40頃。
トイレ、物販、出入り口が近い配置にあるってのはデザインミスなんじゃないかと言わざるをえません。
並んでいる最中、戦車の砲撃と覚しき爆音が数回轟いていたのですが、実はこの爆音、直線距離で10kmほど離れている駅でも聞こえていました。
これだけ離れていても聞こえる音を会場で聞いたらどうなるかと思いましたが、結論として、思わず頭を下げて身を縮めるほどの音量でした。
隣でおっちゃんが平気な顔してるのが信じられないほどです。
大太鼓を至近距離で鳴らされると腹に響くような感じがしますが、これはハラワタの奥底まで震えるような大轟音です。
実際に聞いてみることをお勧めします、録画でも大した音量にはなりませんでした。
で、こちらが目玉の戦車。


三両一斉砲撃。
僅かな間隔を置いてドドドンと撃っています。
これとは別にもう少し近い距離で四両一斉砲撃もやったのですが、音で吹っ飛ぶかと思いましたし、50m以上離れている上に砲塔がこちらを向いていないにも関わらず熱風が吹き付けました。
Civをやっていても戦車は強いと思っていましたが、実物は遙かにヤバイ代物です。
発射出来る状態では赤旗、出来ない状態では緑旗が立っている様子でしたが、緑旗であっても砲塔がこちらを向くのが恐ろしく感じるほど。
軽戦車の支援射撃もあったのですが、ちょっと絵的に映えないのでカット。


味方部隊の撤退を支援するために煙幕をはる戦車中隊。
この後、全く向こう側が見えない濃密な煙幕が発生します。

本日は通して天候も悪く、予定されていたヘリや航空機のパフォーマンスも今回はなくなってしまったそうです。
残念。
一度行ってみて色々楽しむコツは掴んだつもりですし、まだまだ見てみたい物があるので、来年以降も積極的に狙っていこうと思います。
次こそは車で。
車で!
では
ワタケ(昔は浅黄とかいう痛いHN) | - | 22:24 | comments(0) | trackbacks(0) |
タイムリープ
もし私が限りなく光速に近い速度で運動していたとしたら、読者視点での更新ブランクは私にとってたった三日ほどのことであったということになりはしないでしょうか(土下座しながら)。
前回いつ更新したか全く覚えていませんが、割と元気に生きてます。
この夏は毎年恒例軽井沢へ大会に行ったり帰省したりしていましたが、クライマックスだったのは帰省途中で速度超過による罰金をくらったことでしょうか。
免許取得してから丸四年の夏。
またここからゴールド目指して五年頑張ります…出来るのか…?
車と言えば、実家の車を買い換えるという話が出てきたので、古い車を私が引き取れないかという打診をしてみたのでした。
現在私は未来の自分から借金する形で生活しているので、ある意味お金に困らない生活と言えます。
どうせ社会人になったら使う暇無くて貯まる一方だと思われますので。
なので、維持費の額次第では愛着あるボロ車を引き取る気満々だったのですが、試算してみたところ、全く乗らなくても月々二万円の維持費がかかるという結果に。
毎月二万円消費するだけの価値を見いだせるか、つまりそれくらい活用出来るのかと訊かれるとNoなので、理性と感情の戦いにフェーズが移行したとかなんとか。
論文要約のバイトでいくらか稼げればあまり悩まずに済むのですが…。
車お金かかるよ…。

夏休みは25日までと短いのですが、殊勝にも明日は病院見学など行って参ります。
前期の終盤に何故か意識の高い学生モードに入ったせいで予約を入れたのですが、今のテンションだと割と面倒です。
休みたい、だらけたい。
眠気に負けないことを祈るのみ。
では
ワタケ(昔は浅黄とかいう痛いHN) | 私的 | 22:48 | comments(0) | trackbacks(0) |
ゲスパラ
日中はちょっと離れた所でテニスして、夜は地元の連中と飲んでました。
強かに飲んで家に帰り、気づいたら座椅子で寝落ちして起きたらこんな時間ですよ。
何があったか朧な記憶を頼りに掘り起こしてみます。
ひとまず一件目で、実習中に聞いた先生のトンデモ話を披露しようとして、「これ絶対滑らないから!間違いなく滑らないから!」と前置きして始めようとしたところ、「身構えちゃったから喋るな!」と封印。
いやホントに滑らない自信があったんですけどね?
身構えられてしまったら仕方ないね。
下段小キックあたりから崩していかないとね。
他には、「ワタケ来ることが決まった時にアトムがめっちゃワタケのことをdisってた」という謎の暴露をくらったり、「大学の体育で、野球そのものよりその派生の乱闘の方が盛り上がる」という窪田の話を聞いたり。
根っこからDQNじゃねーか!

勢いで二件目に行ったのですが、鎌田が「別の店でお勧めされた」というそのお店は、会話に不自由するほどの音量でDJがBGMを爆発させているアップアップなお店。
全力で叫びながら会話し続けた結果、のび太(仮名)に結構年下の彼女が、しかも付き合って二年目で存在することが発覚。
「写真見せろ写真!」
「ちょっと待ってちょっと待って!…はいこれ」
「(おもむろに眼鏡を外す)」
「(黙って眼鏡を外される)」
男三人で袋だたきにしました。
多分五回以上囲んでどつき回したと思います。
特にしょうやの怒ゲージが常にマックスでした。
多分格ゲーだったら瞬獄殺連発する勢いで殴りかかっていたと思います。
のび太「童貞乙!」
しょうや「ウォォォオオオオアアアアアア!!!」
修羅の声でした。
後は、しょうやが見知らぬ女性二人の肩に手を回してご機嫌な写真を撮ったり、アトムが夜の帝王じみたスタイルで座っていたり、店内のアレをコレしたりと酷い飲み会でございました。
別れの際に「じゃあなクズども!」と叫んだ覚えがありますが、正しいと思います。

明日は色々やるつもりなのですが何時に起きるんだこれ。
では
ワタケ(昔は浅黄とかいう痛いHN) | 私的 | 03:50 | comments(0) | trackbacks(0) |
ダヴインチ
前回いつ更新したかすら覚えていないこのブログですが、生きております。
昼間は実習、夜は帰ってきて炊事、動画、ゲームとやっているとブログの優先度が低くてオイ何やってんだ。
図書館から借りてきた本を読まないといけないというのにそれすら放置してDMC4やってますからね。
買ったのは数ヶ月前なのですが、DMDを半分くらい進めた所で詰まったのでしばらく放置していたのをちまちまと。
あとミッション三つクリアすれば一段落します。
一カ所だけSランククリアできてないので、そこを潰すのにどれだけかかるかですが…。
というか道中もSランクにこだわらなければ半分以下の時間で済んでいる気がします。
やり込み精神が憎い…。
なんで今更再開したかといえば、七月の頭に地球防衛軍4が出るという話を知ったためです。
前作はXboxだったために手が出ませんでしたが、PS3で出るなら話は別です。
また、こう、最高難易度で詰まるような作品に手を出してしまうカルマ…。
こいつは八月末のジョジョASBまでに片付けたいところです。
勉強を犠牲にしすぎだろう。
紹介したか忘れましたが、シムシティの動画を作っていたりもするので、その作成時間も取りたいところではあります。
全てはゲーム(を絶てない心の弱さ)が悪い。
では。
ワタケ(昔は浅黄とかいう痛いHN) | 学校 | 00:28 | comments(0) | trackbacks(0) |
動画作りました。
お暇な時に是非ご覧ください。
泣いて喜びます。
では
ワタケ(昔は浅黄とかいう痛いHN) | 私的 | 23:14 | comments(0) | trackbacks(0) |
SSD
ふと気づけば一ヶ月放置していましたが忘れてたわけじゃありません、面倒だったんです。
あとこの一週間くらいPCが起動しなくなるアクシデントに見舞われていたのでその対処に貴重な春休みを費やしておりました。
ファッキン。
ということで簡単にことの顛末を。

発端はスピーカーから音が出なくなったことです。
サウンドカードを増設して、そこから光ケーブルでアンプ、スピーカーとつなげているのですが、PS3(そういえば買ったんです)は音を出すのにパソコンからではウンでも無きゃスンでも無いと。
ちょうどその直前に中の埃を一掃すべく全ケーブルを外して運び出していたので、ケーブルをつなぎ間違えたのかもしれんと思って一度光ケーブルを抜きました。
電源入れたまま。
普通のオーディオ端子なら電源入れたまま抜いても何ともないのですが、光のためか、あるいはサウンドカードをネジ固定していないせいか、パソコン本体の電源が切れました。
とりあえずケーブルを正しく繋いで、起動してみても音が出ません。
というかコントロールパネルから見てみると認識すらされていません。
これはアカン、ということで一度電源を落としてサウンドカードを抜き、ゲームカートリッジよろしく息を吹きかけて差し直してみます。
とんだローテクだ。
で、そうしたらパソコンの起動すらしなくなったと。
起動しなくなるのはよくあるのでいつも通りの対応をしてみたのですが、二日経っても動く気配がありません。
これまでもデスクトップへたどり着けない事例がちょこちょこ起こっていたので、これが噂のHDDクラッシュかと思い、全てを悟ったような顔で新しいHDDの購入検討に入りました。
幸い、年末に一度データのバックアップを取っていたので、大した痛手にはならないと判断したのです。
さて、そうなるとちょっと欲が出てきます。
OSをSSDに入れて、データ専用のHDDを別途設置する方式でいけば、少なくともOSが起動しなくなるという最悪の事態は避けられますし起動も速くなります。
調べた所では各種インターフェースはHDDと互換性があるようですし、資金も心配しないで良い生活です。
三年前に組んだ時の記憶ではSSDは高級品でしたが、今なら少しは安くなっているでしょう。
最寄りのヨドバシにもひと揃い置いてありましたが、値段比較した時にヨドバシはかなり高かった記憶があったのでそれはそれとして秋葉原へGo。
以前お世話になった店へ行ってみたところ、正直ヨドバシと大差ない値段で売っていてしょんぼりです。
それでも店員さんにあれこれ質問できたのは有意義だったので良しとしましょう。
で、家に帰って機械いじりタイムです。
古いHDDを取り出すのにマザボの配線が邪魔をし、抜くかどうか悩んだあげくに繋いだまま続行、大幅に時間を費やしつつSSDをつなぎ直して組み込みOSをインストール。
SSDをサイズ調整するパーツの部分で一悶着ありましたが割愛。
で、インストール作業の最終段階で、再起動したところで黒画面にアンダーバーが点滅する画面になったまま、進まなくなりました。
確か前はこんな画面にならなかったぞ…?
うかつにこのタイミングでリセットボタン押すと致命的なダメージを与えそうなのでしばらく悩みましたが結局なんにもならないのでリセット。
今度は最初のHDDと同じ所で止まるというオチ。
ちょっと待とうか、結局こうなるのかい。
スマホで調べた所、メモリを一枚にして最低限の構成パーツで起動するのが良いということ。
メモリも抜き、ディスプレイも一枚だけつなぎ、グラボは必要だったので維持、サウンドカードも抜いて起動したら無事成功。
すさまじく安心しました。
一旦落として、どうせならと元のHDDからデータを拾えないか繋いでみることにしました。
何も考えず配線して起動したのですが、普通に起動して見慣れたデスクトップが表示されやがります。
…あれ?
最低限の構成でやったら動く→HDDの問題ではなかったっぽい→メモリ診断では異常なし→というか足りてないのサウンドカードだけ→最初の問題は音。

こいつが原因か!

念のため外付けを用意して中身のデータをそっくり移します。
これだけで三時間以上かかったのでデビルメイクライ4が進む進む…。
で、終わったら、問題が無いと分かった元HDDと新しいSSDを併設して起動。
なぜか出てくる古いデスクトップ。
どうやら、OSがインストールされたドライブが二つあると直近に起動された方が優先して起動されるようです。
面倒ですがつなぎ直してSSDだけ起動させて、落として併設して再起動。
外付けに入れておいた年末のバックアップを復元させ、先ほど丸ごと引っ越したデータと照らし合わせて…ここにまた二時間弱。
元のCドライブがGドライブに、DがFにと逆転する現象が起きたり、システムで予約されているという覚えの無いドライブがあったりと引っかかりは残りましたが、少なくともハードウェアでの問題は無くなりました。
サウンドカードさえ無ければ。
ちょっとおっかないところではありますが、三万円くらい(ポイント決済)したので動くかどうかだけは確認せねばなりません。
差し込んで、実家から持ってきたネジで固定して、ケーブルはひとまず待って起動…起動するじゃん!
え、結局何がいけなかったの?
おそらくケーブルを抜いた時微妙にサウンドカードとマザボの間にズレができて、それが原因で認識されなかったりOSが論理レベルで起動しなかったりしたのじゃないかと思いますが、専門家じゃないので憶測にすぎません。
とにかくどこにも問題は無かったのです。
何もおかしくなかったのに二万円消費してSSDと2TBのHDDを買ってきてしまった、と。
うーん、シムシティの動画を作るには容量が足りなかったんで良いと言えば良いんですが…。
この盛大な徒労感をどうしてやろうか…と思いながら中のプログラムや環境設定に三日かけて今に至ります。
何が辛いって、以前使っていたブラウザからブックマークを出力出来ず、データファイルも見つからなかったので逐一メモ帳に写して引っ越してるところですかね。
まだ終わってないよ!
そんなわけで春休みのほとんどをこの作業に使ってます。
死にたい。
では
ワタケ(昔は浅黄とかいう痛いHN) | 私的 | 17:51 | comments(0) | trackbacks(0) |
先祖譲りの
実習を終えて学生控室に戻りソファに沈んでいると、スーツを着た男性が汚らしい控室に顔を出して言いました。
「今年度で退官する教授の懇親会を開いて、タダで余ったご飯が食べられるから学生さん来ない?」
「「行きます!」」
そういうわけで寿司やらキッシュやらローストビーフやらを大量に貪ってきました。
特にローストビーフはそれなりの地位の先生が「今までで一番美味い」と言ったほどの物。
嗚呼、腹の世界に脂肪が満ちる…。
しこたま腹に詰め込んで、さてケーキをといった所で「退官なさる教授からご挨拶を…」となりました。
流石に食べながら聞くわけにはいかない、というかそんなに広くなく人も多くなかったので隠れられなかったためケーキの皿をテーブルに置いて傾聴。
もっしゃもっしゃ食いながらビール飲んでるアホも居ましたがアレは別です。
教授の話が終わって、さーケーキ食うかと思ったら「教授と皆さんで記念写真の撮影をしたいと思います」。
これはいけません、タダ飯を食いに来ただけなのに教授の記念撮影に巻き込まれるだなんて悪いジョークにも程があります。
一緒に来た五人で視線を交わし、ささっと出口へ移動したら係のお姉さんに「学生さんも一緒に写った方が教授も喜ぶから!」と捕まり、断り切れず壇の中央へ誘導されてしまいました。
この時私、この場では飲む勇気が出ないので帰ってからにしようと、出されていた缶ビールをポケットに忍ばせていたのですが、そのまま撮影に臨むこととなりました。
ポケットに盗んだ缶ビール放り込んで教授と記念撮影なんて、人生これっきりだと思います。
そんな行為に及ばなくても、後で箱ごとビールやらウーロン茶やらジュースやら、果ては未開封のワインボトルまで貰えたのですがね!
ちなみに明日も退官する教授の懇親会があります。
ある友人曰く、「六日に一度くらい教授辞めないかな」。
それは政局とか試験問題とか大混乱だろうからやめてあげて。
では
ワタケ(昔は浅黄とかいう痛いHN) | 学校 | 23:46 | comments(0) | trackbacks(0) |
1/218PAGES | >> |