お元気ですか、私は元気です。
最後に更新したのが多分入院した頃のはずなので、およそ三ヶ月ぶりにログインした次第です。
毎日数名程度チェックにいらっしゃる方がおられるようでありがたい限り。(人じゃないかもしれませんが)
「大学生のうちに思考のアウトプットとして十万文字は書け」と意識高い人が言っていたので、意識低い私ですが多少試みるくらいならバチも当たるまい、ということでこのブログをそっち方向へ路線転換させることも考えています。
数年前の記事と比べたら「あの小僧が小生意気になりおって!」みたいな感覚を味わえるかもしれません。というか私が味わってます。
さて本題。
今更知ったのですが、2005年に群馬大学医学部を受験した当時55歳の女性が、筆記試験の点数が足りていたにも関わらず不合格とされ、訴訟の末大学側が勝訴した事例があったそうです。
ザックリとした事例紹介・顛末は以下のURLよりどうぞ。
http://www.unipro-note.net/archives/50259778.html
記事中の二次情報へのリンクは尽く期限切れとなっているため、もう一つこの事件について述べている文章を紹介します。
http://www.geocities.co.jp/halfboileddoc/personal/med/01-12juken.html
判決が出る前に書かれた文章であるため、こちらの方が経緯を事細かに書いてあります。
両方の記事から、訴訟に至るまでの事の流れを箇条書きにしてみましょう。
・55歳女性が群馬大学医学部を受験し、不合格とされる。
・個人情報開示請求した結果、筆記試験の結果は合格者平均点を上回っていた。
・不合格の理由として年齢があることを入試担当者から説明される。
・不合格は不服として訴訟。
ここまでが訴訟するまでの流れです。
二つ目の記事にありますが、大学側は年齢による出願条件の制限を設けていなかったそうです。
最新の平成26年度版(http://www.gunma-u.ac.jp/html_nyushi/images/examination/examination05/050_2501003_2600ippan.pdf)を斜め読みし、検索もかけてみましたが、やはり年齢上限に関する記載はありません。(下限については18歳とありますが)
これについて二番目の記事で、「
それに手続き上の瑕疵は免れ得ないと思う。国立大学の試験としては募集要項がすべてであるから、大学の事情によって募集要項外の要件を持ち込むべきではない。いくら内実「職業訓練学校」であったとしても表向きは公立大学面をしているのですから、公立大学としてのルールには従わなくてはいけない。これは「試験」というもののプロセスに関する誤り。」と批判がなされています。
私が考えるに、厳密には「募集要項で制限していない」からといって「合格条件で制限していない」わけではない事になるのですが、これについては「どうせ落とすなら事前に絞っとけ」という意味で大学側が募集要項に記載しておくべきだったと思います。論理的な矛盾は無いけど不親切だよね、という話。
募集要項に年齢制限が無いことは衆目の一致するところですが、ではこの場合の「合格条件」とは何かということになります。
募集要項によれば、「大学入試センター試験、個別学力検査等、調査書を総合して判定します。」「上記出願区分のいずれで出願しても合格者の判定は同一の基準により実施します。」「個別学力検査等(学力検査、面接、小論文)のいずれかに不良のものがあった場合は、不合格とします。」と判定方法・不合格条件について記載されています。
これは最新の物で当時の物と細部が違う可能性がありますが、この女性は「筆記試験の合格平均点を上回っていた」ということなので、学力検査・小論文は合格相当であったと考えることが出来ます。筆記試験の点数はセンター・個別を合算すると要項にありますから、この女性が不合格になりうる要因は「個別学力検査の面接」or「調査書」ということになります。
大学受験を経験した方には分かると思いますが、調査書で不合格になるケースはまずありません。調査書が志望校に対して不足するような人は、そもそもそんな所を志望しないためです。また、55歳になって医学部受験を志す人物の調査書が(いくら40年近く前だとしても)悪いとは考えにくい。よって争点は面接にのみ絞って構わないということになります。長ったらしいですが前提の整理です。
では面接の処理について考えてみます。
医学部受験における面接の意義とは、「学力試験で測れない不適格な人物を除外するため」というのが広く共有されている認識です。記事とは別の所で、「極端な話、筆記試験でトップだけれども殺人の前科があるような人物が居たらそれを弾かねばならない」という例えがあったのですが、基本の考えはこれで間違いないと思います。ただ、これは断りの通り極論であるので、どこまでを「不適格」とするかは極めてファジーな議論とならざるを得ません。二番目の記事で全盲男性に関する例がありますが、今回は年齢のみに絞って不適格とはどういうことかを考えることにします。
シンプルな話に落とし込めば、「医師業務に差し支える=不適格」ということになります。どういった面で医師業務に差し支えると判断すべきか。一つ目の記事中に、新聞からの引用として
「同大が「医師には知力・体力・気力が必要」などと説明していたことについては、合理性があるとした。」という判決の根拠が挙げられていますが、実際に内部を知る物として、この三つは必要十分であると考えます。知力が無ければ診療業務に必要な能力の根幹が崩壊していますし、気力に関しては患者の死亡や訴訟リスクといったストレスに心を折られた医師が辞職ないしは自殺するニュースが年に少なくない数見られます。体力に関しては、内科や精神科と外科や救急で全く状況が異なります。つまり、一概に「このくらいの体力が無いからダメ!」と線引きするのは難しいのです。ただ、どの診療科でも当直で夜間にたたき起こされる事はあり得るため、それに耐えられる体力は必要だろうと推察されます。
55歳という年齢を考え、卒業時に61歳で研修医として働き始めるだろう仮定の未来を想定すると、気力はともかくとして知力・体力に十分な素質があるかと問うてみると、世間一般的には疑問符が浮かぶのではないでしょうか。私はまだその年齢に達していないので実際にその世代の人に訊いてみないとハッキリ結論は出来ませんが、個人的にも体力・知力は厳しいのではないかと思います。「受験に合格したのだから知力は十分ではないか」という意見もあるかと思いますが、受験で必要とした各種科目の総合知識量を1とした場合、国家試験合格に要する知識量は体感的に3~5、人によってはそれ以上です。これは私が使った参考書、使っている参考書の厚みもある程度考慮に入れての値なので、全く感覚的な数値ではありません。従って、学部受験に合格した事実は国試合格をなんら担保するものではないということです。これは別に年齢関係なくそうですけども。またこれも世間一般論になってしまって申し訳ないのですが、新しい事を記憶していく能力も年齢によって低下していきますし、認知症の発生リスクも年齢によって上昇することはデータが出ています。
次に体力ですが、良く知る体力テストの年齢別結果についてこんなグラフが見つかりました。
http://www.mext.go.jp/component/b_menu/other/__icsFiles/afieldfile/2011/10/11/1311811_2.pdf
URLを途中でカットしてみたところ文部科学省のデータであることが分かりましたので、信用に足るグラフだと言えます。
このグラフからは20歳から64歳にかけて、右肩下がりに体力低下していく様子が明らかに分かります。他の年齢層でグラフが断絶しているのは、採点基準が変わっているためと考えられます。
以上のことから、55歳という年齢での医学部入学は、勤務開始時(早くても)61歳ということを考えると、少なくとも体力の面で(同期最多である)20代より遙かに劣り、知力に関しても学習機能の生理的な衰えが危惧される事が分かります。付け加えるなら、一つ目の記事にあるように、不合格を決定したのは教授会議であり、その顔ぶれはおおよそ50~60代の人物です。私がここでどれだけ推測を並べても、当の世代が下す判断に及ぶものではありません。年齢による衰えに限っては、ですが。
年齢における身体的な理由ばかりここまで述べてきましたが、もう少し広い視野で、いわば政治的な観点からも55歳の医学部合格は厳しい面が見えてきます。
群馬大学は国立大学であり、その医学部生の教育には多額の補助金が国庫から、つまりは税金から支出されています。一人の医学部生を卒業させるのにかかる費用は5000万円とも1億円とも言われていますが、ある小児科医の先生が試算したところでは3000~4500万円だろうということです。(http://d.hatena.ne.jp/Yosyan/20110607)
教育は投資ですから、この費用以上の経済効果を社会にもたらす事を期待されるのが筋です。この場合どうやって「社会への経済効果」を算出するかという問題が浮上しますが、私は経済の素人以下なので、大まかに「患者が疾病により失う予定の経済利益-医師の診療報酬」と定義します。「失う予定の経済利益」とはつまり「医師の働きにより社会に還元できる利益」ですから、要は普通に利益から損失を引いているだけです。本当は保険なんかも絡まるのでもっとずっと複雑なのでしょうが、それを論じる能力が私に無いので飽くまで参考程度に。
厚生労働省によれば、平成22年の段階で女性の平均寿命は86歳。かといって生涯現役である人は稀でしょうから、医師の平均寿命はどのくらいかと調べてみると、1979年の古いデータでは68歳(http://ncode.syosetu.com/n8651bb/17/)。これは昭和54年ですから、先ほどの厚生労働省で一番近い昭和55年の平均寿命を見てみると、女性は79歳。乱暴ですが、平均寿命の延びがそのまま医師にも反映されたとして、75歳あたりが妥当ということになるでしょうか。どんどん感覚的な推測ばかり続いて申し訳ありませんが、61歳で医師になり、75歳で死ぬまでに、投資された4000万円ほどを社会に返しきれるかどうか。正直出来なくはないでしょうが、トントンかそれ以下だと思います。この4000万円は社会への貢献から自らの給与を引いた数値ですので、返済には短くない時間がかかるでしょう。
そして、紆余曲折の果てに帰ってきましたが、「55歳を切ってその椅子に若い受験生を置けば、遙かに多くの経済的利益を上げることが出来る」事は紛れもない事実です。
このような経済・社会的側面からも、地域医療へ責任を負う大学医学部が55歳を不合格としたがる理由は見えてきます。
一つ目の記事において、「
入試担当者から「医師を社会に貢献させる使命が国立大学にあり、十年かけて育成しても社会に貢献できるか、あなたの年齢が問題となる」と自分の不合格理由に高年齢が挙げられたと主張したが、判決は「証拠がない」としてこの発言を認定しなかった。」と書かれており、執筆者は年齢差別だと批判しておられますが、当記事におけるここまでの論証では年齢による不合格措置は素質的にも社会経済的にも妥当という結論に至ります。
ただしこれは大学側の対応を全面支持するものではありません。年齢による不合格措置は極めて現実的な対応であり、実質的に募集制限がかかっているような物ですから予めその旨記載すべきですし、入試担当者の応答も「
合否は全教授で審議し、学長が決めるもので通常、恣意(しい)的な判断をする余地はない。」という因果関係の無い謎の説明になっていますし、「
面接ではどのようなチェック項目があり、どう点数化されているのか開示を求めたが、大学側は「今後の入試に影響を及ぼす」として応じなかった。」のようにブラックボックスと化した面接での評価基準は明かされていません。
私の最終的な結論を述べますと、「措置そのものは妥当だが、事前準備や対応に不備・不誠実がある」になります。この女性もさぞやり切れない思いをしたはずなので、これ以上このような事例が出ないよう綿密な対応を願うばかりです。
なお、一つ目の記事序盤〜中盤に「高齢者の学ぶ意欲を引き出せるかどうかに繋がる判決だったが壁が高かった」とありますが、専門書自体は誰でも買えるので、学部に通うよりも安価に学習自体は出来ますよ、ということを申し添えさせていただきます。実技的な部分は流石に無理とは言わないまでも困難と思われますが。
長文読んで頂きありがとうございました。
では